阪神淡路大震災

明日は1月17日、阪神淡路大震災から15年目だそうです。

そう考えると、現在、中学生以下の人たちって、まだ生まれてなかったんだなぁと時の流れの早さを感じます。

あの朝は月曜日、前日の日曜日に真夜中まで枚方あたりでカラオケして、帰ったのが2時頃。

にも関わらず、早朝の地震直前にパッチリと目が覚めました。

まだ5時半かと思いつつ、うつ伏せになったときに、ドーンと下から突き上げる様な衝撃があり、グラグラっと横揺れが続いて、枕元のカラーボックスの上からウイスキーボトルが顔のすぐ横に降ってきました。

寝てたら、最低でも顔面骨折でした。(-“-;A

揺れが収まって、リビングに行ってみると、食器はコナゴナでしたが、まあ怪我人も無く、一安心。

ただ、西宮に住んでいた伯母さんの家の電話が繋がらないので、1人で車で様子を見に行くことに。

近所も別に普段と変わらなかったのですが、車で走りながらラジオを聴いている内に、だんだんと被害の凄さがわかってきました。

尼崎と西宮をつなぐ国道171号線も、阪急電車の上の高架が落ちて通れず、仕方無しに遠回りして、岡田山という山の上に車を止めて歩いて伯母さんの家に向かったのですが、ガスの匂いが充満していたのを思い出します。

伯母さんの家は写真ほどひどくなく、原型を留めていたのですが、中に入ると柱が傾いて、危険な状態。

再び、車で家まで伯母さんを連れて帰りました。

家で、テレビを観ると、ホントに日本の、しかも自分のすぐ近所でこんなことが・・・?

と思わざるを得ない光景でした。

その日の夜は、辛うじて開いていた小さな商店でお茶を買うのが精一杯。

お金を持っていても、買いたいものが買えないという最初で最後の経験をしました。

お金が無くて・・・という経験は、いまだに味わってますけど。(・∀・)

震災で亡くなった多くの方はもちろん、いまだにその被害に苦しんでいる方、人生が全く変わってしまった方等々・・・、その方たちのためにも、あの日の記憶やその後の教訓は、みんなが忘れず、語り継がなければいけないことと思います。